沈黙を受け入れること
何かを言いかけたとき、どんなふうに言っていいか分からず言葉に詰まってしまったことはありませんか?そのとき、相手はどんな姿勢でいてくれたでしょうか?
ゆっくりでいいよ
私が関わっている海外ボランティア団体の活動の一環で、ある人にインタビューをすることになりました。その人は元々、とても落ち着いた話し方をする人だったので、きっとすてきなインタビューになるだろうと予想していました。
インタビューを開始して、大切な想いに徐々に触れていきました。「しっかりと引き出して、伝えられるようにしたい」という想いで進めるなか、突然言葉に詰まってしまいました。「どんなふうに聴いたら、聴きたいことを正確に伝えられるか」「相手が答えやすいか」「深層の想いや言葉を引き出せるのか」そんなことを考えすぎたあまりか、次の言葉が出てこなくなってしまったのです。
そのときその人はゆっくりでいいよと沈黙を待ってくれました。
沈黙に寄り添うことがsharing love
インタビュー取材中に沈黙してしまうこと、それはインタビュアーとしてはあまりよくないのかもしれません。それでも真正面から向き合い、沈黙の時間もあたたかく包んでくれました。
沈黙にまで寄り添ってくれたそんなふうに私は感じました。言おうと思ってるのになんか出てこない、そんなときに起こる沈黙までも愛することの素晴らしさを私は感じました。
沈黙の奥にあるものを待ってみる
相手が沈黙してしまったとき、「ん?どうしたんだろう?」と思うでしょう。そのとき相手は、何か言おうとしていても、言葉が出てこなくなってしまったり、きちんと伝えたいからこそ言葉・表現を選んでいる途中なのかもしれません。
そんな奥行きが沈黙には隠れている可能性があると思います。「必死に今何か伝えようとしてくれているんだな...」そんなふうに相手の心の奥行きを感じ取り、沈黙の時間を待ってあげることがsharing loveなのかもしれません。