「伝えたい」「理解してほしい」そんな想いがあるとき、相手にどんな姿勢でいてほしいですか?どんなリアクションだったら嬉しいでしょうか。今回は、私が「理解してほしい」と思うことを話してうれしくなったできごとについて話します。

「信じていること」と「信じたいこと」

あれは学生時代に海外ボランティアに行ったときのこと。1つのテーマに向き合い、心に息づく想いやその場で生まれてきた想いを仲間とシェアするワークがありました。ある日、信じていること信じたいことがテーマの日がありました。

信じていることは、何の曇りもなく100%心でそう思っていること。 信じたいことは、99%信じているが1%不安やもやもやがある状態、で考えるワーク。

私がそこで出した答えは、 ・信じていること:すべての経験が自分の糧になる ・信じたいこと:すべての出会いに意味がある です。

熱い熱い対話

ここで核となるのが、「すべての出会いに意味があること」がなぜ信じていることではなく、信じたいことなのか。なぜなら、未来は分からないから。それを言うと、「それなら経験だってこれからするものは分からないでしょ?」となるかもしれません。

今みなさんがそう感じたように、最初はうまく伝わりませんでした。 でもそこからです。 もう6年も前のできごとなので、どんなふうに深掘りされたかは正直おぼえていません。でも、めちゃめちゃ熱く向き合ってくれて、**心が揺れたあの感覚、あの空気感は今でも忘れられません。**時間にして1時間も向き合ってくれました。

仲間にたくさん深掘りをしてもらったおかげで、私も私自身が何を考えているのかよく理解する時間にもなりました。

その結論はと言うと、 経験は、**良い経験だ!**と思っても、悪い経験だ...と思っても、どちらもポジティブな方向に捉えると決めているので、まだ分からない未来でも100%なのです。

出会いのほうは、出会ったときに意味があると感じられるかは分からないから。意味があると心できちんと感じられるのは出会ったときか、1週間後か、はたまた何年も先かわからない。ただ私は、出会ったときに意味があると思えなくても、できれば意味があると思いたい。 と、当時の私は思っていた、というわけです。

あれからだいぶ時が経ったので、あらためて経験と出会いについて向き合ったら答えは変わるでしょう。「信じていること」と「信じたいこと」の問いの答えも変わりそうだな...と思いながらこの文章を書いています。

愛を持って真正面から向き合う

このできごとを振り返ってみて、真正面から向き合ってくれる人がいるのってありがたいことなんだな〜と思います。

このできごとから6年経ち、さまざまな良き人との出会いがありますが、真正面から向き合っても大丈夫だ!という関係性になれた人は、そう多くありません。お互いが大丈夫だと思えないと、真正面からというのは難しいですし、勇気がいるものだな〜と思います。

もしかしたら、愛を持たないと人と人は真正面で向き合えないのかも...。 sharing love であるためには、最大限の愛を持って真正面から向き合うことが必要なのかもしれません。